死ぬ前の身辺整理(ASDによる

生きるために死ぬblog

死ぬ前に観る映画『キャストアウェイ』

    ネトフリでみたんですが、とくに島暮らしの際、吹替が脳天気と言うか…。作品には合うんだろうけど、BGMと全く合わない。世界仰天ニュースとかのナレーションが入りそうなくらい雑なかんじ。いつもの人じゃないかもだけど※個人の感想です。

キャストアウェイと聞いて次点で Def Techが浮かんでくる、関係ないけど一時期のヨコハマタイヤのCMソングってセンスあったのか業界的なズブズブセールスだったのか。

 

    物語は漂流して島暮らし安定したら、急に数年筏着水までスキップされる(潮目を読んで、それまで筏作成プランのお頭の良さもあってか)。飲み水確保、火起こし苦労のあるある等。

孤独感に参ってからか、人に見立ててコミュニケーションというか"独り言"をぶつけるんだけど、

途中でなくして孤独の怖さみたいな…。ご飯より寒さより比重が大きく感じられた(普通の人はいちいち感じなく『当たり前じゃん』と思うのかも)

孤立した現実の日本人に例えたらネットに向かって レスポンスしているようなもんなのか。(勝手に人間関係のメタファー的なモノとしちゃってる…)

    途中"そのお友達"を見失ってしまい、筏から降りてまで戻そうとするも…。

日常の火の便利さ、雨も凌げる、孤島との対比というか普通に人がいて、ライフラインがあって"普通の"日常に戻る。セリフにも"戻る"と出てくる。

でも孤島から戻った主人公は人間関係からもキャストアウェイされちゃう...。ダブルミーニング(ニュアンス合うかわからない)。

   『孤独は一時的なモノ/不正解』と錯覚しそうで、ずーっと孤独な人を突き放しているようにも。ずっと未婚より婚歴あって離婚後の孤独の◯殺の方が多いとかなんとか…。最初から一人なら、漂流している方が日常、現実的にはありえないけど、人間関係の上の話なら成り立つお話。

人間関係の"キャストアウェイ"(英語的意味も『見捨てられた、見放された』なんかとある)。

ラストの語りから孤独を垣間見ることも出来るけど、あくまでさっきのたとえの人間関係の孤島とは別。主人公の直接的で現実的な孤独による自殺未遂。そこからの奮起(ちょっと蛇足的なエピソード)。

 

   超個人的な話だと小学校くらいは毎日普通に暮らしてた。じゃあなんで中高でキャストアウェイしちゃった、されちゃったのかと言うと…

そこを突き詰めたら精神ぶっ壊れちゃうから"現状維持"というか"ただ耐え忍んでいるだけ"なんだろう。誰じゃなくて自分が"普通の暮らし"に戻らなかったのが"悪かった"のかな。例え犯罪の被害だろうと。はいグジグジうじうじやめよう。

   ずーっと"バレーボール"を相手に死ぬ前に後悔するのだろうか…。ASDなんか漂流から取り付く島もない(取り付く島の使い方違うぞ…)

ワンちゃんネコちゃん飼って寂しさ紛らわす生活も似たようなものだと思う...、いややっぱり違う、けど動機は似てる。

それだけニンゲンが"恐ろしい生き物"に見えてくる。自分も人間なのにね。

 

映画もラストは、岐路は選べるしチャンス(の暗示『天使の羽』)も見える、

『自分から(選ばなかった道を)キャストアウェイ出来る』と教えられる。

自分にとっての"ウィルソン"はなんだろな。

そしてそれは本当に 必要/ホンモノ なのかな。